「エオラ・ジェムストーン・オラクル」の本の表紙にはこうあります。
「自己啓発への聖なる旅」
私は、「本当にそのとおり!これはとても素敵な"旅"のパートナー!」と思います!^^
去年(2004年)の5月末、私は初めて自分の興味から「ピ−コック・コパー」という"石"を買い求めました。
それまで、アクセサリーとしての宝石にもあまり興味のなかった私が、そのことをきっかけに、
"石"から感じる存在感や、"石"に触れることで得られる"感覚"、というものに少しずつ自分が開いていく
(惹かれていく)のを感じました。
この石を買い求めたときに、どちらにするか迷った石がもう一つありました。「セレナイト」です。
買わずに店を出た直後から、「私は連れて行ってくれないんだ…」と"セレナイト"に言われている
気がして落ち着かず、1ヶ月ほど後、私はたまらずそのセレナイトを"迎え"に行ったのでした。
石の意味とか、石の持つ力、などについて、そこで一応教えてもらいましたが、
手に取れば取るほど、目で眺めれば眺めるほど、私の中で、そのセレナイトについて「もっと知りたい!」
という気持ちが湧き、その気持ちに導かれるようにしてインターネット検索をするうち、
「Aoraカード」なるもののあることを知るに至りました。
そして、そこに書かれてあった"メッセージ"のなんと自分の心に響いたこと!!
(あのHPも、"情報大公開"の、気前のいいものだと私は思います!笑)
さっそく「カード」を注文し、「リーディング」の仕方を参考にしながら、自分の思うまま、
"カードとの対話"を始めました。それからの3ヶ月間というもの、1枚1枚のカードについて知る、
"親しくなる"という意味もありましたが、ほとんど毎日のように、なんらかのリーディングをしました。
(そのぐらい"飽き"なかったということでもあります!)
2ヶ月後には、どうしても"現物"を手に取ってみたくて、「44ジェムストーンキット」も購入することに(^^v
一つ一つは小さくても、そこはやはり"地球のかけら"、"宇宙のかけら"、「存在感」は伝わります!
私の場合、こんな風にカード(石)との親しみを深めました。
先ず、自分なりに、「カード(と石)」を手に取って(見て)、何を思うか、を、記しました。
「今思うこと」「自分の今の気持ち」といった具合です。"考え"というよりは、漠然と浮かぶこと、
時には"とりとめのないつぶやき"のような感じです。
その後、「本」に書かれた「説明」を読んで、要約します。
特に、今の自分にとって"響く"ところを中心に書き出します。
「メッセージ」「カードが伝えてくれること」といった視点からです。
「カードが伝えてくれること」が、自分にとってはどういう意味を為すか、も意識しました。
(複数枚を使ったリーディングをしている場合は、ここで、全体的な意味を読み取ることもしました。)
そして、最後に、上の二つを受けて、更に自分が何を感じるか、思うか、を記しました。
「まとめ」「インスピレーション」「自分にとっての意味」といった具合です。
3ヶ月の間、これを"記録"し続けて見返すと、不思議に、"繰返し出てくるカード(群)"というものが
あることが見えて来ました。私の場合、それは「ハートを癒す、閉じたハートを開く」というメッセージ
として繰返し自分の心の中で響くことになり、そういうリーディングの「事実」が"起きている"ことを
理解すればするほど、認めれば認めるほど、受け取れば受け取るほど、思えば思うほど、
私の"ハート"は疼き、痛み、遂には、この"リーディング"の作業を"泣きながら・涙ながら"にする、
ことにもなりました。今にして思えば、それだけ、自分の"ハート"が傷んでいた、
"癒す"必要があった、ということだと思います。涙を流した分、涙を流すことが出来た分、
私は自分の"ハートの傷み"を認め、癒すことが出来たのだと思っています。
これはまた、"ハート"の存在、というものを「再認識・理解」することでもあったと思います。
このリーディング作業は私にとって、いわば、
「自分自身(特に日頃は意識していない"無意識"領域)との対話」、
「瞑想」のようなものを知らず知らず始めたことだったのだと思います。
そして、問えば、そういう"メッセージを返してくれる"ような"何か"、というものが「本当にある」、
ということを感じる体験にもなったと思います。
「それが何であるのか?」という究極的な問いは、
各々の人の心の中で行われるべきものだと思いますが、「Aoraカード」として言うなら、
それこそが「Aora(の"意識")」ということになるのではないか、と思っています。
3ヶ月にわたる継続的なり-ディングをした後、ちょうど年末年始を迎えたこともあり、
バタバタしてリーディングもお休みしていましたが、最近、また「今日の一枚」を始めてみると、本当に不思議!
今までとは全く異なる"カード(群)"展開!伝えられるメッセージは着実に変わっているという…^^。
そして、"分かる"んですよね…、
自分も変わっていること、自分にも変化が起きていること、自分に何が起きているか…。
自分を"映して"くれるのが、Aoraカードである…。
「旅」は長い!(笑)
これからも、折にふれ、カードの対話、自分との対話、続けていこうと思います!
カードとキットとのご縁を得て、私はその「創始者」はどんな方なんだろう?という気持ちになりました。
そこで、先ず、あまりお金もかからずに済む(←"正直"でごめんなさい^^;)
「イブニング瞑想会」へ参加してみることにしました。
これがまた、思った以上に(こんな"お安くて"いいのかと思うぐらい!笑)、素敵に居心地のいい空間でした!
"サハジ"さんの人柄というのか、その"意識"からもたらされるものなのか、落ち着いて、自由で、リラックスできる、
快適な、"空間"がそこにはありました。(このように"言葉"にしてしまうのはもったいない気がします。
"言葉"にすると、それに限られ、変に形を決めてしまい、"言葉ゆえのとらわれ"をもたらすことにもなりかねない
ような気がするからです…。あくまで"私の表現"です…。)
そこで語られた言葉を、私は"耳(頭)"で聞いていた、というよりは、"心(ハート)"で感じていた、気がします。
(不思議に、通訳の田中さんの言葉も、同じようにすんなりと耳に流れるものでした。)
内容を"思考的に理解"するというよりは、"感覚的に味わう"という感じだったように思います。
そして、それをしていい、"していいことが分かる"、そんな空間であったような感じがしました。
ただ、自分として、そこに居ればそれでいい、というような…。
そんな自分の"寛いだ意識状態"を体験出来たことを、何よりも嬉しく思いました。
中でも一番心に残ったのは、「私たち一人一人は各々に、"living consciousness"、である」という趣旨の言葉でした。
"living consciousness"。生きた意識。生きて存在する意識。体現されている意識。意識の体現…。
一頃はやったSMAPの歌ではないですが、私たちは、こうして、この世に生きて存在するだけで、
もう既に、何らかの"意識のありよう"を体現している…。もう既に、「何か」、なのである…。
"私"もまた、「何か」なのである…。(う〜むむむ、そうかぁ…。笑)
そんな風に、この言葉は私に響きました。
そして、私は思いきって、個人セッションも受けることにしたのでした。
それは、「何かを相談しにいく」というよりも、自分に必要な"意識"を体験させてもらう(分けてもらう)、
「存在」を体感させてもらう、というような気持ちだったと思います。
それは、期待に違わぬセッションとなりました。
私はそこで、「自分に"だけ"全ての注意が向けられている感覚」をとても強く感じることが出来ました。
それは、何よりも自分に、「自分は尊重されている」「自分は大事にされている」「自分は愛されている」、といった、
「自分が"愛されている"存在」であることを感じさせてくれるもので、それと同時に、
そのように、「無条件に"愛する(愛そうとする)"存在」のあることを感じさせてくれるものでした。
安心と安堵と、希望と信頼と…。
「"自分"とは誰であるのか…?」「"自分"はどこに居るのか…?」
「"自分"は何をしているのか、しようとしているのか…?」
「自分」を知る"旅"…。
「自分」が「自分」になっていく旅…。
「旅は長い…」「旅は続く…」そう思います。
"自分の目と足"で歩いて行くのですよね…。
大きな愛、"見守り、応援する力"を受けながら…。
そんな「意識」を、私は受け取ることが出来ました。
(サハジさん&田中さん、ありがとう!)
サハジさんは、セッションの最後に、「"旅"に終わりはなく、自分も一人の旅人として、自分の旅を続けている」
という趣旨のことを語ってくれました。私には、その言葉も、とても誠実な嬉しいものとして響きました。
なぜなら、精神世界には、"大きな気づき"を得たことで、
自らを"偉大な達成者・完成者"として扱い、振舞おうとする人も少なくないからです。
私も今、この"賛辞"を綴りながら、こんな「言葉」こそが、また、
サハジさんを「偉大な達成者・完成者」のようなイメージで包んでしまったり、
読む人をそういうイメージを持つように仕向けることになってしまうかもしれない…、
とちょっと怖れたりしています。^^;
「言葉」は両刃の剣…、私はそう思います。
「理解や伝達」を助ける一方で、「固定観念や"幻想(思い込み・とらわれ)"」の元にもなる…。
どうそ、「私の言葉」にとらわれることなく、それを"透過"した向こうに見えるもの、
を感じて頂けたら幸いです。
サハジさんから、「自分の気づきや理解、といったものは、誰に話して聞かせる必要もなく、誰かに
聞いてもらわなければいけないというものでもなく、ただ自分が知っていればそれでいい」という趣旨の
言葉ももらいました。(「分かち合う」ということとは別です。「他人に"認めてもらう"必要」という意味です。)
なので、こんなに長々綴ってしまいましたが、究極、私が言葉にすべきなのは、次の一言だけかもしれません。(笑)
「私はとても嬉しい体験をしました。"あなた"はどんな体験をなさっていますか?」
by KZM(2005mar03)