vijayのミスティカオイルのクラス・第5回 怖がらないで(自然に帰る)
いてもたってもいられないくらい体がしんどい。寝ても起きても、疲れている。
もう何もかも止めたいのに、こんな日に限って、毎週の夜のクラスだ。直前まで、布団のなかにいて、出かける準備をする。
こんな時、いつでも、何度も思い出すのは、もう十数年前に受けたカウンセラー・トレーニングで、先生の誰だったかが、「(大阪弁でなくて、英語だったけど)どうしてもしんどい時、会いたくないクライアントがいる時、どうしようもない問題があるとき、そんな時に、自分がセラピストの仕事をすることは、自分の(ボディ)マインドを脇において、ハートから生きれるかどうかのチャレンジの時です。」と言っていたことだ。
今日も思い出した。玄関で、ため息をつきながら、靴紐を締めている時に、思い出した。
で、チャレンジすることにする。足を引きずるように会場に行く。ところが、用意された僕の椅子に座って、口を開いた途端、そんなに疲れていることは、忘れる。
ちゃんと、グループ・リーダーとして機能している。不思議なものだ。
まず、みんなのシェアリングをしたら、一番にアロマ・セラピストで、ミスティカオイル・セラピストのMさんが、「私は仕事で、クライアントのエネルギーを受け取り過ぎるようです。」とまるで、僕の今の問題を変わりに言ってくれるかのような展開が始まる。
何度も経験していることだけど、僕が失恋した時は、失恋の悩みを持ったクライアントが僕の前に現れるし、僕が仕事で悩んでいるときは、仕事の悩みを持った人が現れる。
よほどの業が深いのか、この仕事をしていると、チャレンジに次ぐ、チャレンジだ。そして、僕は、まるで自分に言い聞かせるように、クライアントに語りかける。
今日のメインのエクササイズは、それぞれが、厳しく批判的なマインドによって、催眠をかけられ、操られているとしたら、声に出して、自分の言葉が、自分の耳から聞こえるように、自分に向けて、優しく語り掛けることだった。
逆催眠。
そのために、まず、「試練を克服する」のオイルを使う。Yさんが、その香りを「子供の頃に安心してつけてもらった天花粉の匂い」と描写したような、少し甘いオイルを手とハートに塗りこみ、そのサポートを感じながら、自分に優しい言葉をかける。
食べ過ぎ、眠りすぎ、飲みすぎ、怠けすぎ、ゲームのやり過ぎ、エトセトラ・エトセトラ。千とひとつの出来事を、それぞれが問題と感じている。
それぞれの「過」なになにに対して、厳しく「過ぎている」と非難せずに、甘ったるいくらい甘やかして肯定することにする。
そうやって、安心したもうひとりの「過ぎている」と非難されている側の自分自身が、今日のテーマの「自然に帰る」のオイルを受け取る。
初の試みとして、ハートだけでなく、お腹にも塗りこむ。
これは僕の考えだが、インナー・チャイルドは、人のお腹に住んでいると思う。なぜなら子供はフィーリングの生き物だからだ。
まだ第三身体の個人性も、第四身体のメンタリティーも、第五身体の思い込みも、第六身体の気づきも発達していないから、ユートピアに住んでいたり、ディストピアに住んでいることも自覚がないから、簡単に子供は、傷つく。
傷ついて、萎縮しているから、ほとんどの人のフィーリング・ボディ(第二身体)は成熟していない。
子供のまま発育が止まっている。
子供時代に安心して、のびのびと過ごせなかった人ほど、そのボディは幼いままだ。
だから、それを指して、インナーチャイルドと呼ぶ、と僕は考えている。
本当に健康だったら、人は、インナーチャイルドだとか、インナーアダルトだとか、インナーマザーだとか、分裂していなくて、ひとつにまとまっているから、外側に投影したりしない。でも、現実は、ほとんどすべての人のお腹(フィーリング)は、幼く、満たされず、飢えた子供のように外側からの栄養(注意)を求めている。
そのインナーチャイルドの住んでいるお腹に、オイルを塗って、ハートの延長の手で優しく触れる。 ハートとお腹をつなげる。
一息ごとに、お腹のスペースが広がることに気づく。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、インナーチャイルドが手足を伸ばすことを許す。
星の瞬きを喜ぶ。月の神秘に驚く。風を感じる。蝶を追いかける。砂浜で貝殻を拾う。安心して、冒険する。生きていることを喜ぶ。笑う。泣く。飛び跳ねる。ダンスする。自然に戻っていく。楽になっていく。クスクスと笑う。手を取り合う。
ビルの五階の貸し会場は、すっかりと草原か、砂浜のような、子供たちの遊び場になっていた。
閉館時間が来て、管理人さんがガラス戸の向こうから、覗いていたけど、大の大人が子供に戻っていたから、異様な光景に怯えて、僕らに声をかけれなかった。
管理人さん、ごめんなさい。びっくりさせてしまいました。こうやって僕たちは、自然に帰ってゆくのです。ワークなんて、不自然なことをしながらでも、その上、オイルを嗅いだりしながら、僕らは、自然に帰っていきます。帰るなんて行為自体が不自然だけど、しかたがない。僕らは既に不自然だ。
自己本性を探求するも、くそも、ほんとうは探求する自己というものが無いことは、みんなどこかでは知っているからこそ、先ずはその入り口として、手垢がついていないマインドの幼心に帰る。赤心と書いてまごころと読んだのは、夢野久太郎こと、竹中労だったけ。昨日、赤ちゃんという名のレストランで食べたご飯はおいしかった。インナーチャイルドは、やっぱり大人のマインドよりも無(自己本性)に近い。
そして、「春の夜の電柱に寄りて思う、人を殺した人のまごころ」(夢野久作)という歌があったよな。そんなものもわからない本性や自然だったら、僕は一生涯、心理的ゴタゴタに付き合っているのでいい。そのことで疲れ果ててもいい。悟りなんか求めるよりも、世界に溶け込んだほうがいい。維摩居士じゃないけれど、世界病む故に我病む、でかまわない。
でも、管理人さんには、迷惑をかけたくなかった。ごめんなさい。僕の愛する人たちよ。今日はやっぱり、疲れていました。我病む故に世界を病ましました。関係責任。なんちゃってね。
vijay
vijayさんへのお問い合わせは
|
| *カフェデアースでは、セッションやリーディングなどのご連絡やそれ以降のやりとりについては個人の責任で行うことをお願いしております。 |
*あなたもカフェデエッセイにクリスタルやミスティカオイルとのステキな体験談や、グループやイベント開催記を掲載してみませんか?
info@cafedeearth.comまで気軽にシェアして下さい!掲載が決まりましたら、こちらからご連絡させていただきます。